橋本環奈が「美女」を演じる健全さ。テレビとは「ルッキズム」を愉しむものだ【宝泉薫】
「前時代的な作品で、原作者がさくらももこなら、許容範囲」「もともと毒舌な作風のちびまる子ちゃんがルッキズム云々で炎上って、意味わからん」
ちなみに、この回の脚本は原作者のさくらももこが手がけたもの。雑誌「りぼん」での連載スタート時から愛読してきた者としては、久々に「らしさ」が味わえた回でもあった。
では、その「らしさ」とは何かというと、子供の世界のリアル感、だろう。この回の終盤、写真館に美女の晴れ着写真が飾られているのを見たまる子とたまちゃんは、こんな会話をする。
「世の中、こういうもんだよね」「そうだね」
ルックスに限らず、この作品には知力や経済力の差からも生じる悲喜こもごもが面白おかしく描かれ、そこが現実味のある共感をもたらしてきた。つまり「世の中、こういうもんだよね」という現実を当たり前に描いているだけで、それはいたって健全なこと。ルッキズムもまた、人間らしさのひとつなのだから、否定するほうがむしろ不健全だろう。否定するより、上手くつきあうことが大切なのだ。
すなわち、この騒動は今の日本がポリコレという欧米由来の伝染病に冒されつつあることを示すものでもあった。
なお「ちびまる子ちゃん」の舞台は1970年代。その時期のテレビ番組がCSなどでけっこう再放送されている。
たとえば、79年5月7日に放送された「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)ではオープニングメドレーで野口五郎がこんな発言をした。
「脚の長さとミニスカートは、短いほうがいいって言いますよね」
次に歌うミニスカ姿の石野真子を紹介しつつ、彼自身がちょくちょく「短足」だとからかわれていたのを自虐したものだ。
そして、この回ではルッキズムを活用したことで歌謡史に残る名曲「ビューティフル・ミー」が聴けた。歌っていたのは、大橋純子。「たそがれマイ・ラブ」や「シルエットロマンス」が有名だが、唯一の「紅白」出場で披露されたのはこの曲だ。
このなかに「ねぇ私 子供の頃から 一度もきれいと 言われないけど」という歌詞が出てくる。当時、筆者の母はここが歌われるたび「そりゃそうやろな」とツッコミを入れていた。
大橋が美人タイプではなかったからだが、このあとには「きっと今夜は 美しいはず あなたの愛の 魔法で」とか「生まれてきて よかった」といった歌詞が続く。そう、これは運命の人に出会い、初めて愛された歓びを謳い上げたものなのである。
しかも、この曲は彼女の実人生とも重なりそうなものだった。この年、バックバンドのメンバーでこの時期から作曲家としても頭角を現す佐藤健と結婚。これの作曲者も佐藤なので、おめでたい事情を汲んだスタッフや作詞者の山川啓介が気を利かせて発案し、作られた可能性もある。
番組の冒頭では、司会の井上順に容姿いじりをされながらも、祝福の花束を渡され、笑顔を見せていた。不思議なのは、そんな大橋が筆者の記憶よりはまずまずの容姿に見えたこと。それこそ「愛の魔法で」いつもより輝いていたのかもしれない。そんなある意味「鬼も十八、番茶も出花」的なところも、ルッキズムでは作用したりする。